写真家としての行動規範

イメージ・コンテント・テクニック

写真はテクニック的に発表可能なものと発表不可能なものに分けて、発表不可能なものは即座に却下します。

ときには、創造的で興味深い写真をテクニック面の欠点でふるい落とさざるを得なく、断腸の思いをすることがあります。このふるい落とし作業が終わると、イメージ・コンテントに注意を集中することになります。私は写真が私の心に喚起する感動によって、そして写真がどの程度私を熱中させるかによって、イメージ・コンテントを判断します。
いうまでもなく、こうした評価を数量化するのは不可能なことですが、経験を積んだ人は感動の程度によって写真を評価するのは難しくてできないとは思わないものです。
テクニックに関しては、露光・シャープネス・暗室作業(ライトルーム作業)を評価します。これには写真家の技量や写真機材や題材の扱い方の上手下手が関わってきます。

専門家の審査員がどう思うにせよ、誰にでも"最高"の作品があります。

www.hikaru-art.jpに関して、Albumでは作業の途中あるいは発表段階にある写真を掲載しています。私が個人的にどのような写真を視覚的な面とテクニック面で一級の写真と考えているかを例をあげて示したいと思ったからです。私は熟考して選び出しました。私は自分の判断はこれ以外にないと思っています。
私はまたこのページに家族の写真を掲載しました。この写真が完璧だといえないことは承知しています。しかし私の選ぶベスト作品の一枚です。たまたまこの写真は私の心臓の鼓動を少しばかりはやめ、大きな感動を覚えさせる”記念写真”です。2006年の夏に自宅から30分の海岸に出かけ撮影したものです。まだ水にはいることが出来ない娘を波打ち際であそばせている家族の写真です。専門家の審査員がどう思うにせよ、誰にでも”最高”の作品があります。

写真は命がけである。

本物の良いプリントを作ることは、命がけである。「細江英公」先生のことばです。写真工業出版社の発行するファイプリントテクニックに記されています。写真大学の1年生で学ぶ内容かと思いますが、アンセルアダムスのゾーンシステムを学びアーカイバルプロセスを習得し自らの作品にしていける者は1割以下というお話も聞いています。次のエピソードも、プリンティングに対する写真家の哲学を表しています。

・・・ブレット・ウエストンに関する記述があります。ブレット・ウエストンは80歳の誕生日に自宅に集まった友人たちを前にして、両手いっぱいに抱えたネガを燃え盛る暖炉に投げて語ったそうだ。「今朝、生涯のネガを全部燃やしてしまった」と。
マシュー・ウエストンが解説するところによると、ブレットにとってネガは芸術行為の途中のものでしかなく、プリントこそが最終作品であって、自分のネガは自分しか焼くことができないし、それこそ最も重要な創造行為だから、自分の死後のネガを他人に触らせたくない。
なんという過激な完全主義者であることよ。しかしブレットの行為の是非については議論の分かれるところであろうが、プリンティングとは、まさに命がけの行為であるということをあらためて示した事件である。

写真工業出版社発行 ファイプリントテクニックより

アンセル・アダムス Ansel Easton Adams II

「ネガは楽譜であり、プリンティングは演奏である」あまりに有名な言葉である。同じネガ(楽譜)からでもプリンター(演奏家)が異なれば、異なるプリント(演奏)ができることを示す。写真家ならばだれでもが知っている常識ですが、一般社会ではまだ常識ではありません。デジタルプリントにおいてはネガが存在しません(可視化できます)ので事態はやっかいです。しかしプリント作業はまったく同じ行程を行います

約20年前に虎ノ門のギャラリーで購入したもの、いまでも自分の作品をとなりにかけて世に問える作品か否かを確認している。